たまには、絵じゃない話も。
オリンピックとパラリンピックのメダルは、同じ450g
二つのメダルの違い、知ってる?
今夜、
パラリンピック、ゴールボール日本代表で
リオデジャネイロパラリンピックでは
全日本女子主将としても活躍された
浦田理恵さんの講演会に行ってきました。
熊本出身の彼女。
福岡で一人暮らししながら
教師を目指す学生生活の途中
20歳のときに、急激に視力が低下…
「網膜色素変性症」でした。
現在、左目の視力はなく
右目は、視野が95%欠損。
それは5円玉の中から覗いたときに、
明るければ光を感じる程度。
ある日、授業の黒板が見えづらく
コンタクト変えなきゃな、くらいに思ってたのが
教科書の字が読みづらくなり
テストの問題用紙がなかなか読めなくなり…
でも、
見えるのが当たり前だと思っていたから
見えないことに劣等感を感じ
友達にも先生にも
うちあけることができませんでした。
自分から壁をつくり、引きこもるように。
時々電話をかけてくれる親にも
今日こそは言おう、言おうって思うのに、言えず。
そんな日々が、1年半ほど。。。
「死ぬくらいなら、伝えよう」
という勇気が、わずかに残っていた彼女、は
お正月に西鉄電車で帰省することに。
未だ誰にも打ち明けていない状態、
記憶を頼りに電車にのり、駅につき
ホームからおっこちないよう、
おそーるおそーる、ぎこちなーい歩き。
改札の前で待っていたお母さんは、あれ?と思います。
「なんタラタラあるきよっとね」(たしかこんな言い方)
その声に、お母さんのいる場所がわかりましたが…
その場所に、おかあさんは見えませんでいた。
「ああ、わたし、もうお母さんみえないんだ…」
どうしてもっと早く言わなかったんだろう!
その瞬間、ようやく、思ったそうです。
改札のとこまでたどり着き、
目が見えなくなったことを打ち明けるも、
冗談だとしか思わないお母さんは、
これ、わかる?と、指で3を作って…
「1ほん、2ほん、、、」
さわりながら、数を確認する彼女を見て
「ごめんね」って。。。その場で号泣
けれど、このご両親がすごいのは、
そこで実家に連れ戻さず、
やれるとこまでがんばってみなさいと、
福岡での生活を続けさせてくれたこと。
彼女の中での考え方も次第にかわっていき
目の見えないかた向けの専門学校?のようなところで
日常生活のしかた、料理のしかた、などを学ぶなかで
やれないことを考えるよりも、
やれることを数えていったら
もっと楽しくなるよ、っていうアドバイスをもらい、
すごく気持ちが明るくなったそう。
その後ゴールボールと出会い、
今に至る活躍があるそうです。
目が見えていた、学生時代の彼女は
通知表の体育2〜3。
ゴールボールも、
最初のうちは、海外遠征に行っても
全敗とか、大差で負けたりの連続。
金メダルなんて到底無理だと思っていました。
けれどコーチが
できない理由を100〜200並べても勝てない。
だったら、
ひとつでも、
自分らにできることを見出し磨いていこう
そういってくれたあたりから
チームワークもますますよくなり、
成績も伸びていったそうです。
あと、こんなことも言われてました。
・点がとれたとき…みんなのおかげって喜び
・失敗・失点したとき…周りでなく自分のせいと受け止める
こういう考えかたの人が揃ったチームは成長する。
浦田さん、終始笑顔で、
実際かなりチャーミングな美人さんで
目がみえてないことを忘れるくらい
みんなへ語りかける感じが伝わってきて
その会場にいるだけで
勝手にラッキーな気持ちに♡
画像は
公演終了後に触らせてもらった
ロンドンパラリンピックの金メダル!
オリンピックメダルとの違いは、
点字がかいてあるかどうか、なんだって。
手がポカポカしてたのと
この声とで
「よくきたねー^^」と
小学生と思われてしまったけど。笑
元気をもらったひとときでした♡
勝利の女神は、
笑顔が好きだってよ♪